ニュージーランドの歩き方に執筆したコラム「ニュージーランド移住までの道」
*ガイドブック「地球の歩き方」の公式サイト「ニュージーランドの歩き方」に連載したコラム「ニュージーランド移住までの道」の再掲載です。
ワーホリのはじめ英語力を伸ばす&友達作りの語学学校
今回はニュージーランド留学当初の英語力がなかなか上がらない悩みと、それをどう乗り越えていったかの話。
ニュージーランドに来てから最初の二週間くらいは毎日がとても新鮮で、あっという間に時が過ぎていったけど、少し余裕が出てきてからは英語力に対する焦りを強く感じるようになってきた。
大学を一年休学してまでニュージーランドに来てるんだから、英語は出来る限り話せるようになりたい!
マスコミ学科で学んでいて、英語は就職にも大きく有利になる。絶対に身に着けたいって決心して渡航してきているだけに焦りが強くて。
ワーホリ最初に申し込んであった語学学校を卒業したら英語を使う機会が一気に減ってびっくりした。
ニュージーランドでの日常生活なら英語も使えるんじゃって思ってたけど、気づけば英語で会話してる時間はほとんどない!
ショッピングで店員さんと若干話す位?
語学学校が終わった直後、ホームステイだけはとりあえず延長
そんなワーキングホリデーでの滞在3ヶ月目の2002年7月に、ホストマザーに将来ラジオの仕事がしたいって話したら、国立専門学校・ポリテクのブロードキャスティングスクールに問い合わせてみたら?って提案してくれて。
ドキドキだったけどさっそく学校を訪ねて先生何人かと話して、そうこうしているうちにニュージーランド南島には日本語ラジオ番組が無いということが分かって。
ラジオ局に企画書を何度も持っていって9月から番組を始めることになった
いきなりラジオ中心の生活になったけど、これがいい英語の勉強になった!
家に帰った後、もらった資料の分からない単語を全部チェックして・・・クライストチャーチのお店をまわって番組のスポンサーを探したり、トレーニングを受けたり、街角でキウイにインタビューしたりと、毎日が冷や汗の連続だったけど、実践で英語を使えたのは大きい。
ちなみに、このときに企画書を見たりトレーニングをしてくれたのがニッキーで、今は局長に。そして当時プロデューサーだったデイビットのポジションに今自分がいて、将来一緒に働くことになってそれを機にニュージーランドの永住権まで申請できるようになるとは夢にも思わなかった。
ラジオ番組が開始する頃、ホームステイ先も変更。移動先のホストマザーのメラニーは若くてまだ32歳だったかな?まるで友達みたいな関係になって、英語で話す機会が増えて。
他の部屋に住んでいる留学生は日本人と中国人。
日本語は使わずに英語だけで会話するように心がけていたら、滞在半年をすぎた頃に、ふと英会話力が上がってるなって気づいた。日本人留学生とは親友になってなんでも話せる仲に。
毎日が楽しくて本当はこのホームステイに長く(それこそ帰国まで)住みたかったけど、ラジオ番組の制作が忙しくなってくると、家に帰るのが深夜になることも増えて・・・小さい子供が2人いる家庭だったから帰りが遅いと迷惑になるし、夕飯をスキップすることも多くなってフラット(家一軒をシェアする)に移ることに。
「語学イクスチェンジ」にも挑戦してみた。
語学交換(日本語を教えて英語を教えてもらう)体験
ホストマザーに募集の紙を書くのを手伝ってもらって、カンタベリー大学構内とシティー(クライストチャーチ中心部)のインターネットカフェの掲示板に、募集の紙をはりつけて…
しばらくして、キウイの男性から連絡が来て、何度かメールの交換した後会ってみたら・・・38歳って言ってたけどどう見てもそうは見えない(もう20歳くらい上!?)なにより雰囲気がかなり怪しい!
こういうこともあるよね…って思っていたら、もう一通のメールが。
今度はカンタベリー大学で日本語専攻してるジョー(女の子・18歳)。
ジョーは日本に3週間ホームスティしたこともあって、年も近いし会話が弾んで、その後帰国まで時々会うようになった!
カンタベリー大学の学生寮に連れて行ってくれたり、寮のロビーで一緒に勉強したり、私のフラットに遊びに来てくれたりして、ニュージーランド地元の大学生活を垣間見れて楽しかった!
後日談だけど、ジョーはこの4年後に日本に来て、NOVAの先生として働いてたんだ。偶然にも私の住んでいるところから近くてびっくり!
ワーキングホリデーも残り半年になった頃から、もう折り返し地点?!こんなに毎日楽しいのに帰国なんて辛い!って思う一方、日本から初めて長く離れてみて、日本の良さもすごく実感してて、両方の国に住めればいいのに…なんて思いはじめてた。